遠征の最新情報
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三浦豪太の遠征日記
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遠征中の写真
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1月2日、3日

1月2日 日本出発 (移動日)

14:00 羽田搭乗 日本出発 (同日)
18:40 パリ到着 トランジット  機中泊

父のクラーク高校の生徒たちも見送りにきてくれた

1月3日 現地時間 (日本時間 マイナス12時間)

9:45 ブエノス・アイレス到着
11:50 ブエノス・アイレス出発
13:45 メンドーサ空港到着
14:00 メンドーサ空港ゲートにてカリコブラ、ジェニ、金子さんに会う
14:50 Diplomatic Hotel 到着
18:00 夕食
20:00 ホテル戻る

メンドーサ(アルゼンチン)までのフライトはとにかく長かった
日本を午後1時半過ぎに出発して日にちをまたいで日本時間の夜中一時半に到着したので36時間かけてここまで来たことになる。メンドーサの時差は日本とちょうど12時間違うから時間を計算しやすい。これほど長くフライトに乗っていただけあってこっちはまるで季節が違う。1月は南半球では初夏で、ほんの数日前まで北海道でスキーをしていたとは思えないような暑さだ。
ここまで無事来れたということは、概ね順調だといえるが、 パリのラウンジでは旅行客の荷物置き忘れによる爆弾騒動があったり、ブエノス・アイレスの空港では接続時間が短いためターミナル間を駆け足で進んだりと、忙しかった 。
メンドーサではメインガイドのカリコブラさんとジェニさん、そして羽田空港で見送ってくれたはずの金子さんがアメリカ経由ですでに僕たちより先に到着していて出迎えてくれた。カリコブラさんはスイス人、今回の遠征の現地手配をしてくれている。ジェニさんはカリコブラさんの元で働いているガイド、パタゴニア出身で20年以上もアコンカグア登山の仕事をしているという。
とにもかくにも疲れたので一旦ホテルにチェックインして一休み。その後夕食に出かけた 。夕食の場所はLA Lucia、お父さんのリクエストでお肉が食べられるところ
さすが肉料理には定評があるメンドーサ、赤みの肉ながら熟成具合と焼き具合が絶妙で塩味だけで十分たのしめた。

メンドーサは初夏! 到着早々、ステーキとアルゼンチンワインを楽しむ。

1月4日

メンドーサ→ウスパジャータ(1950m

6:00 起床 荷造り
7:30 朝食
10:00 ナショナルパークにて入山手続き
12:30 昼食
15:00 昼食終わる ウスパジャータに向けて出発
16:50 ウスパジャータ到着
21:00 夕食

朝から荷造りだ。今回はメンドーサから北西にあるウスパジャータに二泊して、その後高度順化を行うラスクエバで三泊する。ラスクエバから移動して、アコンカグアのベースキャンプとなるプラサ・アルヘンティーナまで人と酸素と最低限の荷物はヘリコプターで、それ以外はミュール(ラバ)にのせて運ぶ。ヘリコプターに搭載できる重量に制限があるため、装備をなるべくコンパクトにして、スキーケースはメンドーサにおいていき、スキー、ストックや通信アンテナなどをテントマットに包み軽くする。そんな作業を朝から行った。
朝食後、国立公園に向かいアコンカグアの登山申請を行った。登山許可、撮影許可、ポーランド氷河を超えるための特別許可をとるため書類にサインをする。これで晴れて公式に登山活動ができる。
本日の予定地であるウスパジャータはメンドーサから車で2時間。途中昼食を摂る。
ウスパジャータはメンドーサの北西にあるが地図をみると道路は一旦南西に向かい、V字カーブを描き北西に行く形になっている。不思議に思ったが車に乗って初めてその理由がわかった。
車がこのようにメンドーサからV字に向かうのはアンデス山脈の間を抜けていくからだ。
グランドキャニオンのような侵食によってできた景色とその奥に広がる高峰に雪がついた山々が広がり、それにヨーロッパアルプスが混ざったような見所満載の景色だ。
ウスパジャータはその中でも山脈に挟まれた盆地であった。水と緑が豊かな場所で、まるで砂漠の中のオアシスだ。実際このあたりはリゾート地らしく今回泊まるウスパジャータグランドホテルにはグランドやプールがあり、子供連れの家族も多く滞在していた。標高は2000近く、ここでの滞在日数を当初予定していた1日から2日間に変更した。それは父の旅の疲れをとるためだ。日本を12日に出発し今日が1月4日。暦の上では二日間であるが時差で半日得しているので実質3日間移動してきたことになる。1日だけの滞在で急激に標高をあげるよりもここで二泊する方がいいだろうというチームドクターの大城先生のアドバイスにより、出発2週間前に急遽ウスパジャータの滞在に日数を増やした。いい判断であった。
ホテルに荷物を運び入れ、今日の予定を話し合った。ガイドのジェンによると、夕食は九時以降でないと食べられないという。アルゼンチンはスペイン式の生活様式で昼食後にシエスタ(昼寝)の時間があり、その後仕事をするため、夕食は夜中になる人が多い。時差ボケだったためみんなはシエスタに問題はなかったが少しでも時差に慣れようと僕はここの周辺を走った。久しぶりに体を動かすと気持ちよかったがすぐに息切れする。ここは通過地点とはいえすでに標高2000m、空気も薄くなっているのだ。
公園のなかにある事務所で登山申請、その後、一路 ウスパジャータへ

1月5日

ウスパジャータ(1950m2日目

7:00 起床
8:00 朝食 荷造り
10:00 ウスパジャータ周辺散歩
13:10 昼食
16:00 Cmbreの取材
17:00 ミュール用の荷物出し
18:00 夕食
20:00 就寝

今日はウスパジャータ2日目。長旅でなかなか体を動かす機会がなかったので今日は近くを散歩することにした。現在いるウスパジャータグランドホテルから町まで二十分ほど歩き、さらに町のメインストリートを抜けると山や丘が広がっていた。町の途中にチベットバーという看板があった。聞くところによるとウスパジャータはハインリッヒ・ハラーとダライ・ラマの交流を描いた「セブンイヤーズインチベット」の映画の撮影場所になったという。言われてみれば荒涼した山や丘が広がるこの景色は確かにチベット高原にどことなく似ている。正面の丘をゆっくりと上がると、遠目ではチベット高原に似ているこの丘も近くで見るとサポテンがあったり丘に上がるルート上に十字架があったり - これがネパールやチベットだとマニ石だ、日本だとお地蔵さんだろう。信仰が違うとそれぞれシンボルが違うが、山にこうした宗教的シンボル置くのは万国共通しているのかもしれない。
途中アルパカに似たワナカにも遭遇した。首が長くてアルパカよりも毛が短く一見すると鹿のようだ。南米にきた実感がわく。お父さんの調子はまあまあだ。心配していた不整脈もあまり出ていない。2時間半ほどゆっくり歩き、先ほど通り過ぎたチベットバーで昼食を食べる。
メニューはたくさんあったが結局お父さんはビーフステーキを食べる。
午後はCumbresという地方のフリーアウトドア紙の取材をお父さんが受ける。スペイン人の記者で英語はあまりうまくないので記者がガイドのジェニにスペイン語で話かけ、それを英語で僕に訳し、それを僕が日本語で訳すという作業になった。なんだか伝言ゲームのようで、途中で違った意味になっていないか心配だ。
今日の夕食はさすがに九時に食べるのは嫌だったので街に繰り出しステーキ屋さんに行く。
僕は昼に食べたステーキとハンバークがまだお腹にのこっていたのでサラダだけ頼んだが他のみんなはビフテキやラムステーキを頼んだ。しかし量が多かったので結局みんなの残りが回ってくる。ここにきてからステーキ率が非常に高い。でも赤みが多いステーキでとても美味しい。

のんびり身体慣らし。

景色はチベット高原に似ているが、十字架が置いてあった。

1月6日

ウスパジャータ(1950m)→ラスクエバス到着(3150m

天気 晴れ、強風、吹雪、雷
6:30 起床 荷造り
8:30 朝食
10:30 ウスパジャータ出発
12:10 ラスクエバス到着
13:00 昼食
14:00 休憩
18:30 夕食
21:00 就寝

今日は標高1950mのウスパジャータから標高3150mのラスクエバスに移動した。
ウスパジャータからここまでは比較的大きな谷を通り抜けて徐々に標高を3150mまで上る。距離は80キロとあったが山道でバスがそれほどスピードを出せないため2時間半かかった。この道、7号線はそのままアンデス山脈を突き抜けチリ国境を超える。そのため山奥の道にしてはトラックや一般乗用車の往来が多い。
途中、僕たちが今回の遠征でキャンプを張る予定のバッカス谷の入り口やアコンカグアのビューポイントを通過した。残念ながら天気が崩れてきてアコンカグアの全容は見えなかったが雰囲気はわかった。
ラスクエバスはもともと大きな駅舎があった。しかし、1990年代に鉄道が廃止されたと同時に駅舎や線路も衰退、駅舎も線路も朽ちている。しかしその名残で今でもこの周辺にはいくつかのレストランや宿泊施設がある。今回滞在する場所もその一つでコテージ丸ごと僕たちの隊で借り切っている。これまでのホテルと違いベッドはシングルだったり二段ベッドだったりと部屋はこじんまりしているがその分リビングに暖炉や机がありリラックスできるスペースがある。
ここはすでに標高3150m、父にとってこの標高は鬼門だ。ちょうどヒマラヤのナムチェバザールと同じぐらい、ヒマラヤでもこの標高で体調を崩すことが多い。体調を見ながら順化しなければいけない。
昼食後、軽く歩こうと話をしていたが天気が急変し、雷、あられ、雪、暴風が吹き荒れた。そのため午後はゆっくりとコテージで過ごす。気温もウスパジャートよりもかなり低くここにきていきなりインナーダウンジャケットを着用することになった。今日から数日は天気は不安定らしく、午前中は比較的晴れているが午後は崩れやすいとジェニが言っていた。
明日は倉岡さん、平出君、中島君と合流、それから車で標高4200mのところに行き順化をする予定。これから3日間はここで過ごすことになる。

1月8日

ラスクエバス(3150m)→クリスト レデントールの峠(3850m)→ラスクエバス

天気 晴れ 強風
6:30 起床
9:00 朝食
11:00 高度順化 クリスト レデントールの峠
13:30 昼食
18:30 夕食
20:45 スッキリ生中継
21:30 就寝

今朝の朝食は9時と比較的遅めであったが、昨日のミーティングで変更したプランを まとめるのに時間がかかる。今回、プラザ・アルヘンティーナベースからアメギノ峠 までヘリコプターを使うことに対し、あらゆる要素を考えた。このプランの提案は地元ガイド、カーリーコブラとジャーニーからで、もし実現したらきっと新たなアコンカグア登山方法となる。しかし、このプランを実行するにしても、いきなりその高度(5300m)にいけるだけの、十分な高度順化と体力がなければいけない。引き続き順化行動はしっかりと続ける。今日の高度順化は昨日と同じく、クリストレデントールの峠3850mまで車で行き、その後、ゆっくりとラスクエバスまで道路を下山する。 クリストレデントールの峠は物凄い強風だった。砂埃もひどい。 クリストレデントールの峠からはアコンカグアの先っぽが少し見える。その先っぽに は白い雲が渦を巻いていた。これが有名なモンテビアンコだ。スペイン語で白い嵐を 意味するこの気象条件は多くの登山家たちを拒絶してきた。 山の中腹でカーリーコブラのトラックが迎えにきた。父、大城先生、貫田さんは車 内、僕と倉岡さんはトラックの荷台に乗った。立ちながらグネグネ道を降りる時の体 重移動はスキー見たいで楽しい。日本ではこんな事出来ないだろう。 お昼は珍しく、豆スープ。これまで肉ばかりだったのでかえって新鮮である。デザートはフラン、日本でいう手作りプリンで絶品だ。明日はベースキャンプへの移動予定 なのでこのプリンとはしばらくお別れだ、残念。夜はスッキリの生中継があった。

1月9日

ラスクエバス(3150m

午前 晴れ、強風/午後 吹雪
5:00 起床
6:00 ヘリコプター スタンバイ
9:00 朝食
10:00 ラスクエバス 町内観光
14:00 昼食
16:30 スッキリ電話収録
18:00 本日のフライト中止決定
20:00 夕食
22:00 就寝

今日は朝からBC(アコンカグア・ベースキャンプ)行きのヘリコプターフライトのスタンバイだった。しかし、朝から風が強くヘリコプターが飛ばない。待機状態が一日続いた。 この状況は昨日から天気予報でわかっていた。強風になるとヘリコプターに乗せる重量を通常よりも減らさなければいけなくなるので、全員と荷物を乗せるにはフライト数を増やさなければいけない。一応4フライトを予定、人と荷物を振り分けたフライトに乗る順番は高度順化が必要な順番に決める。父は登攀に補助酸素を使うので、高度順化活動は他よりしなくて大丈夫。同じくベースキャンプより上部に登らない貫田さん、金子さんもすぐに行かなければいけないというわけではない。 必然的に登頂を目指して事前の高度順化が必要な平出さん、中島くん、大城先生、僕 と倉岡さんが先にのる予定だった。そのため万が一、先発フライトが飛び後発フライ トが飛ばなかった場合でも対応できるように荷物や通信体制を整える。 午前中の待機が決まり、朝食をいつものレストランで食べる。スタンバイは夕方まで だったので、時間ができたからラスクエバスの街を散策した。ここは昔アルゼンチンとチリを結ぶ鉄道の駅があった。しかし1993年にこの路線が廃線となり駅舎も廃墟と化していた。 それでも時間は十分余った、本読んだり昼寝したりとゆったりとした時間を過ごした が結局、フライト中止が決まったのが夕方の18:00だった。 こうした遠征ではありがちな展開、明日は飛びそうだが柔軟に対応したい。

1月10日

ラスクエバス(3150m)→プラサ・アルヘンティーナ(4200m)

天気 午前晴れ、夕方雪
5:30 起床
6:15 ラスクエバス出発
6:50 オルコネスよりヘリコプター出発
7:00 プラサ・アルヘンティーナ到着
7:20 雄一郎 プラサ・アルヘンティーナ到着
8:30 プラサ・アルヘンティーナにて朝食
11:00 テント設営
13:30 昼食
15:00 ミーティング
18:00 検診
19:30 夕食
20:00 食事計画、詰め
22:00 就寝

今朝は朝から無風快晴、ベースキャンプに行く期待大。
朝起きてからすぐにヘリコプターパッドがあるオルコネスに向かう。オルコネスはヘリコプターパッドでありながらアコンカグアのルートの入り口でもある。ちょっと丘を上がればアコンカグアが望める。
到着するとヘリコプターのローターはブンブン回り、先発の平出君とケンロウ君を乗せ飛び立つ。ヘリコプターはすぐに戻ってきて今度は貫田さん、大城先生、僕を乗せベースに飛ぶ。
オルコネスの谷を抜け正面にアコンカグアを視界に捉えながら一気に飛翔。途中、コンフルエンシアのキャンプが眼下にあった、ここは徒歩や馬のキャラバンでベースへ向かうときの、オルコネスの谷からプラサ・ミューラスに行くため中継キャンプだ。そこから一気に機体は上昇、5000mの峠を越えると隣のバッカス谷に入り、僕たちのベースとなる<プラサ・アルヘンティーナ>に到着した。あっという間だ。
ヘリコプターは僕たちを下ろすとすぐに父達を迎えに行く。20分後、お父さん、金子さん倉岡さんを乗せたヘリも無事に到着した。
キャンプはまだ日が当たらない谷の影にあり冷え込んでいた。15個程の大きなダイニングテントと登山者用のテントが張ってある。ここがプラサ・アルヘンティーナのベースだ。モレーン(ガレバ)が終わったところに位置して、目の前にアコンカグアの東陵が見える。そこからわずかにポーランド氷河とピエドロ・バンデーラの岩か望める。右にはアメギノ(峠)が見える。これまでグーグルアースや地図で調べた光景だが、実際に観ると感慨深い。ここからアコンカグアの頂きを目指すのだ。
ついてすぐに僕達が使うダイニングテントに案内してくれた。
大きなドーム型のテントで8人テーブルが真ん中にあり、サービング用のフルーツやシリアルを乗せたテーブルも隅に置かれている。僕たちのミュール(馬)に乗せて運んだ別送便も到着していた。テントは鉄のフレームで外張りがあり、中張もある。ストーブも完備、入り口には顔を洗えるシンクもあった。床はウッドのフローリングがしてある。かなり快適なダイニングテントだ
みんながダイニングを囲むとすぐに朝食が出てきた。こんな極地でフルーツは食べ放題、コーヒーや紅茶、シリアルがあり、ブルーチーズを乗せたスクランブルエッグは絶品だった。これまで経験してきたベースキャンプより格段に過ごしやすい。しかし、ここはすでに標高4200m、食べすぎ、動きすぎは注意だ。倉岡さんから今日はあまり動かないようにと指示が出る。
朝食後、荷物整理とテント設営を行う。ちょっとした動きも息が切れる。
荷物整理をしていると隣の隊からお父さんと一緒に写真撮りたいと次々と人がきた。どうやらお父さんの噂はすでに広まっていたらしい。その中に面白い人がいた、父に見せたい写真があると言ってスマホに写っていたのがデナリ(マッキンレー)の僕の写真。昨年僕がデナリに登ったときにすれ違った登山家だった。思わぬ再会をした。
そうこうしているうちに昼食の時間。朝食はなんとステーキ!絶妙な味加減だ。
昼食後、一番気になっていた今後の動きをガイドと話しあう。ここからはジャニーを含め現地4人のガイドが合流した。登山計画は昨日のヘリコプター待機により一日遅れている。今後の高度順化とアタックに向けて大枠を話し合う。結果、登頂日は120日から121日になる。高度順化プランは変わらず3グループに分かれるが倉岡、平出、ケンロウ班は明日出発、大城先生と僕はガイドと共に明後日c1に向けて上がる。父はベース付近を中心に高度順化する = という大枠が決まりそれぞれ午後を過ごす。
夕方、アコンカグア駐在のドクターに父の健康チェックが入る。問診と血圧、呼吸器を調べる。このチェックを通らないとアコンカグアに登れない
心配していた血圧だが、ここ数日安定して低くなっていた、見事合格である。さて、明日から倉岡チームは順化にあがる、夕食の後はアタックの食事計画を立て準備をして寝る。

1月11日

プラサ・アルヘンティーナ(4200m)

天気 晴れ
6:00 起床
8:00 朝食
10:30 倉岡待機出発
11:00 検診
11:45 散歩
13:00 昼食
15:00 高度順化ミーティング
18:00 定時更新
19:00 夕食
21:00 就寝

今日は朝から倉岡隊は一足さきに高度順化に出発した。明日は大城先生と僕、父はベースキャンプに残りこのあたりを中心に高度順化を行う。それぞれバラバラのスケジュールとなるので、その前にミウラ・アコンカグア隊のメインフラッグと記念撮影した。
11:00から検診があった。この検診はアコンカグアに登る人は全て受診が義務付けられている。ここプラサ・アルヘンティーナのベースでは年間約千人、ノーマル・ルート側のプラサ・デ・ムーラスのベースでは4千人が検査を受けて登る。結果が悪いと登山許可がおりない。父さんは昨日、血圧が高くもう一度再確認をされたが、今日は血圧が下がり見事パス!
反対に僕の血圧が高くて、もう一度再検査するように言われた。高度順化の後頑張ろう、少し焦る。その後、近くを高度順化のため散歩してから昼食。午後は明日から順化のためのミーティング、フラッグアップ、スキーの調整をした。

1月13日

高度順化2日目 C1(4900m)→5600m→C1→BC(4200m)

6:00 起床 
7:00 朝食
8:15 C1出発
9:50 アメギノ峠
11:00 5600mリーチ 下山開始
12:15 C1着
13:47 C1から下山開始
15:30 ベース着
19:00 夕食
20:00 ミーティング

昨日、ベースキャンプからC1に登り、高度順化2日目、今日はアメギノ峠を越えてキャンプ2まで行く予定だ。しかし、途中、倉岡、平出、中島チームとアメギノ峠で 会った時、倉岡さんから気になる話を聞く。それは登攀予定しているポーランド氷河 とそこでのスキー滑走だが、ポーランド氷河の状態があまりにも悪く、緊急ミーティングが必要だと言う。
本来なら、C2タッチをして、今日もC1に泊まる予定だったが、チーム全体の今後の方針を見直す必要があるので、一旦5600m地点まで登ってから、今日中にベースキャンプまで下ることにした。
天気も下り坂、明日は高所で猛吹雪の予報をウェザーニュースさんから聞いていて、実際C1を撤収するとき、風が急激に強まり昨日までダイニングテントとして使っていたテントが風に潰された。
15:30ベースキャンプに戻る。流石に標高差1400mを一気に降りると空気が濃く感じる。同時に急いで行動したので疲れも同じくある。すぐにお父さんと上の状態を相談して、夕食まで小休止。
みんなが集まった夕食後、倉岡さんが一昨日からルート偵察をしていたポーランド氷河の状態を報告した。ポーランド氷河はブルーアイスの箇所と、この数日の間に降り積もった雪がペニテンテスと呼ばれる氷の突起の間に溜まり、膝まで埋まる状態であ りながら、その下にある氷の部分はとても硬いという。そのため積雪のなかに埋まり 足がとられると同時に、足元と周りの硬い氷に挟まり、バランスをちょっと崩すだけで大怪我となる。このような箇所が連続して続くうえ、ブルーアイスはアイゼンが噛まない程硬い。正直、父がこのルートを登るにはリスクが高すぎる・・・という状況なので、ルートをノーマルルートに戻す方が良いと話しをした。
プラサ・アルヘンティーナ側からノーマルルートへ向かうにはアメギノ峠を東へ、平らな斜面をトラバースしてプラサムーラ側のルートに合流するよう、プラサ・コレラのキャンプを目指す。
ロジスティック的にも技術的にもポーランド氷河より楽になるが、問題はぐるりと山を回りこむことになるので、その間のトラバースが長く、現在の父の移動スピードではキャンプ数を本来のポーランド氷河案よりも多く増やす必要がある。登山できる日数も酸素の量も関係していてもう少し計画を煮詰めなければいけない。
夜も遅いのでルート計画は明日に持ち越す。

1月14日

BC(4200m)

7:30 起床
8:00 朝食
10:30 ミーティング
11:30 登山向け食事プラン
13:00 昼食
14:00 登山向け食事プラン
17:00 酸素計算
19:00 夕食

朝食後、ミーティングを行う。
現地のメインガイドであるジャニーとハビエールも加わり、今度のルートとスケジュールを検討した。ポーランド氷河の危険性を認識した上で、スキー滑走重点より、優先順位として安全にアコンカグア登頂を目指す意向を父に確認。スキー滑走は山頂付近からではなく状況を見て滑走可能な場所で行うことを前提とした。
そこで検討されたのが、当初予定していたヘリコプターでアメギノ峠ではなく、ノーマルルートにより近いところまで行くことだ。これにより長いトラバースで必要とさ れる日数も父の体力も2日分温存できる。もしこれが可能となれば登頂成功率が格段に上がりそうだ。
ただ、ヘリコプターが着陸できるか分からないため、ヘリコプターで5750mまで行く のをプランA、アメギノから時間をかけて進むのをプランBとして準備をすることにし た。さらに下山は僕たちがキャンプを張っているプラサ・アルヘンティーナ側の反対 にあるプラサムーラ側の方が距離も短く速やかに下山できると提案があり、その方向 に行くことにする。
その場合、今回このベース(プラサ・アルヘンティーナ)を一度出発すると、こちらにはもう戻ってこない。残りの荷物は留守を任せる貫田さんにオルコネスへ運んでもらうことになる。
午後はこのプランに沿って食事計画を中島ケンロウ君と、そして父が登山時に使用する酸素(ボンベ)計算を大城先生と行った。
食事計画は日本から持ち込んだ食材と現地で調達したものを組み合わせる。嬉しかっ たのは現地の食材、、美味しい本場の生ハムやブルーチーズなどをふんだんに盛り込んでいることだ。重量より、登山中のキャンプ地で食事を楽しむことに重点をおいてある。
また、キャンプ地に到着後、<レセプション>というハムやチーズ、パンとお茶を食べる時間が設定されていて、日本で言う3時のおやつの時間だが、これもかなり内容が充実していた。日本やヨーロッパでは食事はなるべく軽量にと思うのだがこちら南 米では山での食事を楽しむ文化があるようだ=これは三浦隊の風土と一致している。
異文化合同の食事計画には午後いっぱいかかった。

1月15日

BC(4200m)

7:30 起床
8:00 朝食
10:00 BCでフラッグ&スポンサー向け写真撮影
13:00 昼食
14:00 ミーティング
15:00 荷揚げ用荷物作り
16:00 計量
16:30 洗濯
17:00 スッキリ電話取材
17:30 酸素ミーティング
19:00夕食
20:00 定時交信 
21:00 酸素確認

午前はベースキャンプにて写真撮影を行った。その間、近くのヘリパッドからヘリコプターが飛びたつ。聞くところによると、そのヘリコプターは僕たちの遠征で使う、 アメギノ峠の先の着陸場所を偵察にいったそうだ。その後、パイロットのディウロ、 整備士、ガイド、現在ドクター、レンジャーを交えたミーティングが行われた。オペレーションMIURAだ。結論から言うと、ヘリコプターはアメギノ峠よりも先の5580m地点に着陸可能、昨日の打ち合わせにあったその地点から5日で山頂に到着するプランAの可能性が出てきた。そして天気予報では18日出発が望ましいということとなる。徒歩で向かう僕たちはその1日前、17日に出発しアメギノ峠に入り、翌日、その先で父と合流することになる。ということで、明後日の出発だ!
午後は荷物の重量計算を午後行う。